ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第十六話

 あの日以来、麻衣子の元へ秀流からの手紙、メール、電話は来なくなった。麻衣子が連絡をしていないわけではない。彼女の方は定期的に、いやむしろ以前にも増して手紙を書くようにしていた。
 麻衣子にとって秀流の敗退は大きな問題であった。一年間、逢いたいのを我慢して盛岡で一人生活をおくってきたが、確かに秀流の名は全国に知れ渡ったかもしれない。だが結論として大会で彼の納得いく結果が得られなかったのだから、依然この状態はこれからも続くのである。予選時にはあれほど雑誌の紙面を沸かせ、大きな期待を抱かせた秀流であったが、その期待が大きかった分だけ敗退のショックは、麻衣子にとっても秀流にとっても大きなものだった。しかし、麻衣子がそれよりも何よりも気にしているのは秀流の気持ちである。彼女には秀流の優しさが充分に分かっているから、きっと負けたことによって、麻衣子に対し引け目を感じているのではないか、或いは大きく自信を無くしているのではないか、等と彼の今の立場を心配していた。よって今の麻衣子にとって、返事の帰ってこない手紙を書くことが、せめてもの彼への励ましになると信じていた。

 その夏は冷夏で、盛岡も例に洩れること無く涼しく、比較的過ごし易い日が続いた。例年なら夏休みの家族連れで賑わう三陸宮古の海岸も人の出はまばらで、何処と無く物悲しさを感じる夏であった。
 交流モーターの低い振動音をあげながら、掃除機が駆動している。例のごとく休日のファッションといえば、ジーンズにTシャツ、そして綺麗なウェービーヘアーもポニーテールに縛り、殆ど化粧などすることもなく、麻衣子は部屋の掃除に専念していた。大ざっぱな性格故、掃除の方も適当かと思いきや、以外に部屋の隅々まで熱心に掃除機をかける。昔は、秀流が部屋に遊びに来るのが楽しみで掃除をしていたが、今は果たして誰のために部屋を美化しているのだろうか。機能的に設置されたチェストの足元に掃除機の吸引口を接触させた折、コトンと小さな音を立てて、チェスとの上のフォトスタンドが倒れた。彼女は、掃除する手を止め、そのスタンドに手を運ばせた。安比亜タワーの前で二人で撮った写真である。秀流の背中に麻衣子が負ぶさるようにしている。二人の笑顔はきらきらしている。そのとき麻衣子の心の中に、秀流を東京に行かせたことへの後悔の念が生まれた。もしも、あの田沢湖で小賀坂のスカウトに秀流が声をかけられなければ、そしてもしあのとき、『東京に行かないで。』と秀流を制すことが出来ていれば、きっと二人はこの写真のまま、楽しく過ごしていたのかもしれない。いつになっても帰ってこない秀流からの手紙が麻衣子を不安の縁に立たせていた。最近はすっかり麻衣子もため息が多くなった。現に今、こうして二人の写真を見ているだけでも肩から一つため息がこぼれる。昔、麻衣子は母親に『人間はため息をつけばついた分だけ、幸せが遠ざかって行くんやよ。』とよく言われていたことを思いだしていた。しかしそんなことを思い出したらまた一つ「ふーっ」とため息が洩れてしまう。彼女の幸せはどんどん遠ざかるばかりだ。
 そんなことを考えながら、再び部屋の掃除を始めようとしたとき、
『ピンポーン・・』
部屋のインターフォンがなった。秀流のいなくなった盛岡で、土曜日の夕方に麻衣子を訪ねてくる人間は珍しい。また何かの訪問販売だろうか。麻衣子はインターフォンに応えた。
「はい、どちら様でしょうか。」
「麻衣子、私やよ。」
「えー? お母さん。」
突然の懐かしい声に麻衣子の心は震えた。さっき母親のことを思い出していたばかりなのに、今度は本物が現れたのだ。
「ちょっ、ちょっと待ってて。今開けるから」
麻衣子は急いで扉のロックを解除した。するとそこにはあの懐かしい母親が立っているではないか。
「何で?突然どうしたん。来るんやったら、来るて言うといてえな。」
「いやお父さんがな、なにも言わずに行った方が、お前の本当の姿が分かるて言いはって・・。」
「ほんまに無茶な親やわ。」
麻衣子は、母親を部屋に上げるととりあえず、今までしていた部屋の掃除を途中で終え、彼女に紅茶を差しだした。久しぶりにみる母の顔は昔よりも少し老けて感じられた。でも、そのイメージが麻衣子を余計に寂しくさせる。
「お父さん元気でやってはる?」
「うん、元気やで。ほんまは今日も一緒に行こかって言うてはってんけど、明日突然会社の接待ゴルフが入ってもうた言うて、残念がってたわ。」
「相変わらずやな。ほんまに・・・・。」

 その夜は、彼女が久々に手料理を作ってくれ、その美味に酔いしれた。
彼女の作る肉じゃがは関西風の味付けで、いもの芯までしっかり味が浸透している。とうてい麻衣子では刃が立たない料理の腕前である。麻衣子がその肉じゃがを口に運んだとき彼女は訪ねた。
「麻衣子、岩木さんはどうしてはんの。」
突然麻衣子の食欲は減衰した。
「もう夏やから、もしかしたら盛岡に帰ってきてるんとちゃうかって。そうやったら是非逢ってこいって言わはんのよ。そやからもし、近所に居はるんやったら、お会いして挨拶ぐらいしていこかな思てな・・・。帰って来てはるの?」
いますぐにでも、秀流は大会で負けてしまったとか、あれからずっと東京に行ったっきりで最近全然上手く行っていないとか、打ち明けてしまったらどれほど楽になるだろう。
「あ・・・か、彼、まだまだ東京でがんばらなあかんねんて。そやけど来月帰ってくるって言うてたわ。結構、最近彼盛岡に遊びに帰ってきてくれてんのよ」
とってつけたような台詞のはき方は、他の誰からみても不自然に見えただろう。
「あ、そう。ほなしょうがないわな。そやったら、これ買うてきてんけど、今度二人で食べよ。」
そう言って彼女が取り出したのは粟おこしだった。
「あ、ありがとう。彼きっとよろこぶわ・・・。あ、それから今度彼と暇が出来たら大阪に遊びに行こて計画立ててるから、その内また連絡するわ。」
「わかったわ。お父さんにもそう伝えとく。」
また、嘘をついてしまった。
 結局母親は翌日の午後の新幹線で大阪へ帰った。盛岡駅のプラットホームまで麻衣子は彼女を送っていった。
「ありがとう。見送りまでしてもろて。元気でやりや・・・。あ、これ私の気持ちやから。」
そう言って、母親は最後に彼女に封筒に入った現金を手渡した。プラットホームに高らかにベルが鳴り彼女は盛岡を去っていった。

 母親が去った後、部屋に帰り別れ際にもらった封筒を開けてみると、一万円札が2枚と白い紙に走り書きが一枚
『ありがとう麻衣子。あんたは本当に優しい子やね。
 そやけど、自分の信じた道はしっかり歩きや。いつも待ってるだけでは幸せになられへんで。』
「お母さん・・・。」
母の優しさが身にしみる夜だった。
 (次回へつづく) 




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