ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

復刻版です!

第一話

 「イヤッホー!」
 オークレイのサングラスに雪の光を輝かせ、秀流(すぐる)が斜面を駈け降りる。ネイビーブルーに淡くイエローをパッチングしたフェニックスのジャケット。黒いドーベルマンが精悍さを際だたせる。そしてその足元で高らかに雪を舞上げているのはフィッシャーのRC4、時折見せる強いエッジングの折に、傾斜した板の裏側からブラックソールが顔をのぞかせる。春の日差しは、ゲレンデをザラメの雪へと変身させ、ほとんどのスキーヤーはその重い雪の感触にただ苦闘させられる。しかし、彼にとって大切なことはただ一つ。足元にあるのが雪だということだ。それだけで彼は充分にハイになれる。ショートリズムもロングリズムも今の彼にはたやすく演じれる。むろんゲレンデのスキーヤーの視線は彼の滑りにくぎ付けになる。ある者はゲレンデの隅っこで、またあるものはリフトの上で。真っ黒に雪焼けした彫りの深い顔に白い歯をこぼれさせ、時にはソフトにそして時にはハードに、まるで雪に自分の体をなじませるかの如く、残り少ない彼の季節を全身で満喫している。今の彼を何に例えることが出来るようか。気障かもしれない、しかしこんな言葉しか浮かんでこない。「ゲレンデの貴公子」、何故かイヤミ無く、彼にジャストフィットしてしまうのだ。秋田県田沢湖スキー場、岩木秀流24才の春だった。

 と、彼の後方に目を移す。栗色のストレートヘアーが風に揺れている。麻衣子だ。デサントのパステルジャケットが淡いながらも白くかがやくゲレンデに映えている。襟元からプリント柄のポロの襟がいたずらげにその存在をアピールし、うっすら塗った桜色のルージュがジャケットの色と見事にマッチしている。きっとその後を滑ればほのかな甘い香りが漂ってきそうな、そんな不思議な予感を抱かせる。愛用のロシニョールが優しく軽やかに春のゲレンデにシュプールを刻んでゆく。秀流ほどの華麗さは感じないまでも、正確なスキー裁きは女性スキーヤーのいわゆるお手本になることは間違いないであろう。どんな状況でも焦ることなく、確実に両サイドのエッジを使い分け雪面をグリップしてゆくが、決して形にはまった硬い滑りではなく、自由奔放、天真爛漫。秀流が貴公子ならばさながら麻衣子は「じゃじゃ馬なプリンセス」とでも例えることができるであろう。阿田麻衣子、21回目のバースデイを終えたばかりの春だった。

 二人のシルエットが、かもしかゲレンデにさわやかな風を運んできた。銀嶺ゲレンデに比べると斜度は一段と緩やかになり、あちこちに初心者やミーハースキーヤーが顔を出し始める。そんなゲレンデの混雑をよそに秀流がチラリと後ろを振り返り、左手の手首を指した。そろそろ時間は昼食時だ。麻衣子は間発をおかず、両手を大きく持ち上げ掌を結ぶとO印を示した。栗色の髪の中に金色のピアスが恥ずかしそうに輝きを見せる。秀流がニッコリ微笑んだ。二つのシルエットはいつしかシンクロし、離れて滑っている二人の間にも関わらず、そこには距離さえもないように思えた。

「あーっ 腹減ったなあ・・・。」
マーカーのMRRにLEKIのリングを押し当て、軽くリリースしながら秀流は言った。白い雪の上にRC4の黒は斬新だ。更に使い込んでいるにもかかわらず、傷一つ無いスキーのフェースが彼の上手さを象徴している。

 秀流は大阪で生まれ大阪で育った。中学の時、商事会社に努める父親の転勤でこの秋田にやってきたが、スキーを始めたのはそれからだった。地元の高校を出、地元の大学に進みそして地元の中小企業へと就職した。父親が知り合いの勤める東京の大手企業へ就職を薦めたが、彼は何故か秋田を離れようとはしなかった。その際に父親と激しい口論となり、東京に行かない理由を突き詰められたとき「東京に行ったって、雪がないから。」と答えた。さすがの父親もそれには閉口してしまい、説得を断念してしまった。かといって別に彼は学生時代、インターハイやインカレで優秀な成績を残したわけでもない。逆にそういった大きな大会には一度も出たことがない位に完膚無きまで無名だった。ただ、自分自身スキーが好きで、週末や学校の休みには決まって近くのスキー場に足を運び、がむしゃらにゲレンデを滑るだけ(と言っても彼の場合は普通ではないが)のサンデースキーヤーにすぎなかった。それでも彼は彼なりに雪を、そしてスキーを愛し、その結果が彼の就職を決定したといっても過言ではなかった。

「ほんまやわ、秀流は滑り始まったら人変わるもん。」
 2本の板を重ねながら麻衣子は言った。トップについたザラメが、春の陽射しにきらきらと輝いてまぶしい。決して痩せているとはいえないが、シェープアップされた健康的なスタイルから彼女の運動神経の良さが伺える。やや汗ばんだ襟元を少し開け、白いうなじをのぞかせた。

 麻衣子も大阪生まれの大阪育ち、彼女の場合は高校卒業後大阪の金融関係の会社に就職し、まもなく盛岡支店に転勤。今は盛岡で独り暮らしをしている。彼女にとってこの転勤は言葉や習慣の点からしてもかなり大きなカルチュアショックだった。むろん金融関係であるから様々な人達と話をする。それまでは生まれながらにずっと使い、慣れ親しんでいた大阪弁を自由に口にすることが出来たのだが、何しろ相手は本物の東北人達だ。テレビで見るような半端なナマリでは話してこない。最初の内はまるで海外にでも来たような錯覚にかられるほどであった。そんな毎日の言語コンプレックスの中で、大口の取引先に新しく入ってきたのが秀流だった。彼の最初の仕事は麻衣子の金融会社から融資を受けれるように話をまとめることで、窓口で対応したのが麻衣子だったというわけだ。二人とも商談時はオフィシャルに慣れない標準語を使っていたが、特に言葉に敏感になっていた麻衣子が秀流の言葉の所々に現れる関西人特有のイントネーションを見つけ、
「もしかすると岩木さんは、関西の方ですか?」
と問いかけたのが、二人の交際のきっかけだった。辺り一面東北人の中にわずかに生息する関西人同志がひょんなことで知り合うこと自体、運命的な出逢いだったのかも知れない。

 そして今、二人はお互いに大好きなスキーを通して心のつながりを確かめ、何よりも心から愛し合っていた。

「ここのかもしかランチ、めっちゃうまいねんで!」
銀色の屋根にかがやくロッジの前で板を雪に立てながら秀流は言う。
「ほんまに? そやけど今はどっちかっていうと、ランチよりもラーメンて感じやわ。」
「さよか。ほんなら、またぎラーメンがええで・・」
「何やの?それ」
「あれ? マイちゃん知らんのかいな? マタギって・・・」
「マタギ?」
「マタギ言うたら、猟師のこというんや。ほら熊とか兎とか鉄砲で打つやろ・・あれや。」
「なんでマタギラーメンやの?」
「ラーメンに兎の肉が入ってるんや。」
「えー?何やそれ そんなん絶対食べられへんわ!」
きっと廻りにいる東北人達は、こてこての関西なまりのこの二人を非常に不思議な気分で見ていることだろう。しかし彼らには彼らだけの世界がある。そんな二人だった。

                                    (次回へつづく)

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