ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第二十話

 その年のイブは西高東低の典型的な冬型の気圧配置となり、きびしい冬の訪れを実感させた。秀流は、小賀坂の事務所に午後から顔を出した。今年度のトレーニングの報告書を提出せねばならなかったからだ。本来、書類関係には縁の無い彼だ。そういうたぐいのものをまとめるのは苦手な方である。結局、報告書を作り終えた時、5時を廻っていた。その書類を机の上に置き、仕事から開放されると、また憂鬱になった。昨夜の麻衣子の訪問は、重大な出来事だった。辺りを見回すと事務所に残っているのは自分だけになっている。当然と言えば当然だ。イブの夜に残業などする人間は殆どいない。秀流も凡例の如く帰宅すればいいものを、今はアパートに帰りたくなかった。
 彼は、何を思いついたのか机の上に置かれたノートの隅におもむろに何かを書き始めた。無表情に何かに取りつかれたように・・・・。やがて彼は持っていたペンを置くと、「ふっ!」とため息をもらし、事務所から出ていった。そして事務所は誰もいなくなった。暗い事務所の中で非常灯のグリーンのランプだけがわずかながらの暖かさを誇示している。彼の机の上のノートには彼の書き残した小さな絵が残っていた。「岩手山」 盛岡の人間なら誰もが、朝に夕に顔を突き合わせるその山が書き残されていた。

 秀流の足どりは重かった。今まで何のために基礎スキーを続けてきたのだろう。そして誰のために何度も練習を繰り返してきたのだろう。夕べの麻衣子の「さよなら」は彼女の最後の優しさだったのか、だとすれば自分は一体何を彼女にしてやったというのだろう。あの技術選で負けた夜、鈴子と出会わなければ、昔のように麻衣子と仲良くやっていけただろうか。自分は鈴子に何を求めていたのだろうか。そしてこれから何を求めていくのだろう。やるせなさともむなしさとも区別の出来ない思いが秀流の中を巡っていた。

 ようやく彼のアパートにたどりつく。いつものようにアパートのインターフォンを鳴らす。
「ピンポーン」
 ドア越しにチャイムの鳴る音が聞こえてくる。鈴子は腕によりをかけて料理を作っている事だろう。せっかくのイブだ。こんなしみったれた顔を見せてはいけない。秀流は2、3度自分の顔を軽く叩いた。扉は開かない。彼はもう一度ベルを押してみる。同様に部屋の中から音が聞こえる。変だ。鈴子が出てこない。いつもなら一度で喜んで出てくるはずの鈴子が、イブの夜に飛び出してこないわけがない。秀流は小首を傾げながら、合い鍵で部屋の扉を開けた。
「ガチャッ」
扉を開けるとそこには闇がひろがっていた。冷蔵庫のコンプレッサの小さな音が闇の中に響いている。
「鈴子!・・・おーい 鈴子・・・」
部屋の灯をつけながら鈴子を呼んだ。ところが返事がない。蛍光灯の光が部屋の中を照らし出した。と、部屋のテーブルの上に一枚の置き手紙があった。秀流は手にとって目を通した。
「おかえりなさい。秀流君
 今日は楽しいクリスマスイブ、だと言うのにお仕事ご苦労さま。イブの夜はこの世で最も愛し合う二人が一緒にいて、初めてメリークリスマスって言えると思うの。私は世界で一番秀流君が好き。そういえばきっとあなたも、私のことを好きだって言ってくれると思うの。でも、それは違う。あなたにはもっともっと大切にしなくちゃいけない人がいるはずよ。イブの夜だから素直になって。
寒い寒い雪国であなたを一人で待っている「可愛いクリーニング屋さん」を大事にしなくちゃね。これはクリスマスの私からのプレゼント、こころよく受け取ってね。
 いつかきっとあなたがナショナルデモになれる日を日本の何処かで心から祈っています。さようなら
               体には充分気をつけてね 未来のナショナルデモンストレータ君
                            鈴子    」
秀流は目を細めた。鈴子は全て知っていたのだ。そして最後の優しさを秀流に送ってくれたのだ。置き手紙の下にグリーンの紙きれが一枚置いてあった。
「12月24日 上野~盛岡 新幹線指定券 山びこ59号 20:22」
時計に目をやると7:28だった。

 (次回へつづく)

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