ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第十九話

 秀流の部屋もすっかり年末モードに染まっていた。いつもなら、別に年末と言えども、たいした気遣いもない普通の部屋なのだが、今年は少し、いやかなり装いが変わっていた。

「おい、この長靴、えらいでかすぎるで。」
狭い部屋に置いたクリスマスツリーの鉢を前に、秀流が言う。明日のクリスマスイブに備えてツリーの装飾をしている。
「だって秀流君がけちって、そんな小さなツリーにするからよ。」
キッチンでジーンズにエプロン姿の鈴子が食べ終わった食器をかたずけながら、背中越しに答える。
「あほ。今はまだ修業の身や。そんなぜいたく出来ますかっちゅうんや。来年は有名になって、もっとでかいツリー買うたるでえ。」
「そうそう、来年は鉢なんてせこいこと言わずに、樅の木を庭に立てれる位にならなくちゃな。」
ようやく食器を洗い終え、濡れた手を白いエプロンで拭うと、鈴子が秀流のそばへ寄ってきた。
「だいぶ、クリスマスツリーらしくなってきたわね。」
「当然やろ。俺のうちわ、いや違った俺の扇風機、あれ?俺のエアコン、おや?あ、俺のセンスがいいからな。」
相変わらずのくだらないボケを繰り出す秀流はいつもと何も変わっていない。あの屈辱の技術選からすっかり立ち直り、今はこのとおりである。二人だけの部屋に誰もみていないテレビの音が、まるでBGMのように流れている。
「ねえ、秀流君このお正月は休みが取れたんでしょ。」
「ああ。」
「秋田に帰るの?」
「ん? さあな・・・。」
ツリーにデコレーションの小さなベルをつけながら秀流が答える。
「ね、ね、帰ろうよ。帰って私も秋田につれてってよ。」
「ん、んん、どうしようかな・・・・。」
ツリーの装飾に夢中なせいか、ほとんど鈴子の話には耳をかたむけていないといった感じである。
「だって夏休みも帰らなかったし、きっとお父さんが心配してるわよ。」
「なあ、このサンタはここでええかな?」
親指ほどの大きさのサンタをぶら下げ、鈴子に見せると秀流が言った。
「もう、ちゃんと話を聞いてよね。」
やや腹立たしそうに言いながらも、秀流の手にぶらさがったそのサンタをとると鈴子はツリーに装飾し始めた。鈴子にとってこの秀流の無邪気さはかけがえのない魅力であった。
「これはね・・・・。」
鈴子がサンタの頭の紐を枝に引っかけようとした時、
『ピンポーン。』
玄関のベルがなった。時間は夜の9時を過ぎている。二人は同時に顔を見合わせて不思議そうな表情をした。
「あ、俺が出るわ。」
最初に立ち上がったのは秀流の方だった。
「誰やろな、こんな時間に・・・案外俺のファンやったりして。花束持ってきたらどうしよう?」
などとぼやきながら玄関の方へと足を運んだ。
「ま、サインぐらいはしてやってもええけどな・・・」
と、玄関の鍵を解除し扉を開けた秀流がそこにみたものは、
「あ・・・・。」
秀流は声を失った。ウェービーヘアをポニーテールに縛った麻衣子がそこに立っていた。扉から冷たい空気が部屋の中に入ってくる。むろん麻衣子の頬は寒さに赤くなっていた。
「マイ・・・ちゃん。」
「秀流・・・来てしもた。」
はにかみがちに笑顔を見せる麻衣子の吐く息が白く見える。表の気温を考えると麻衣子の着ているダウンジャケットでさえも寒く感じられてしまう。
 と、その時部屋の奥から声が届いた。
「秀流君。誰?」
比較的キーの高い澄んだ声が狭い廊下越しに玄関まで伝わってくる。そして、その声は当然麻衣子にも伝わった。彼女の顔からは一瞬にして血の気が引いていくのがわかる。そして、瞳にはみるみる内に涙が涌いてくる。彼女も秀流と同様に声を失った。
「そ、そうやったん・・・。」
「・・・・・・。」
秀流は顔をしかめながら下を見ている。それでも執拗に部屋の奥から声が聞こえる。
「ねえ、秀流君 誰なの。」
その二度目の声を聞いて、秀流は振り返り部屋の奥に向かって大きな声で答えた。
「あ、ああ、ク、クリーニング屋さんや。」
そのことばで全てが終った。この半年、ずっと秀流を信じて、そして秀流を待ち続けて今日まで過ごしてきた麻衣子の想いは、そこで途切れてしまった。秀流がふりかえって再度、麻衣子の顔を見つめた。寒さで火照った麻衣子の真っ赤な頬には無数の大粒の涙が流れ出している。いくつもの光を放ちながら涙があふれてくる。今の秀流にはその涙を優しく拭い去ることさえも許されなかった。
「秀流・・・・。」
息を殺して彼女が呟く。秀流には返す言葉がなかった。
「うち、楽しかったわ。ほんまに今までありがとう・・・。技術選、頑張ってや。」
そう言うと、彼女は後ろ手に持っていた小さな紙袋を差しだした。きれいなリボンでデコレーションしたラルフの袋だ。秀流はとっさにその紙袋を受け取っていた。そして麻衣子はダッフルコートの袖で涙をサッとぬぐい去ると、一度上を向き、涙の流れるのをこらえてから、寂しそうな目でニッコリ微笑み、小さな声で呟いた。
「さようなら。」
そして一歩部屋の中に歩み寄り、今度は大きな声でキビキビと
「奥さーん、毎度!また、何か洗濯物あったらお願いしまあす。 」
と言い残して、背を向け走り去って行った。秀流はただ彼女の後ろ姿を見つめるしか出来なかった。
そして、麻衣子が去った後も彼はそこに呆然と立ち尽くし、口を紡いでいた。閉じた瞳の中には、色々なものが走馬燈のように浮かんでくる。麻衣子と初めて行った安比スキー場。小賀坂に初めて誘われた田沢湖スキー場。そして麻衣子と最後に口づけを交わした盛岡駅のプラットフォーム。全てがずっとずっと昔のことのように遠く感じられる。自己嫌悪という言葉でかたずけてしまうには、あまりにも複雑すぎる秀流の心であった。            

 (次回へつづく)

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