ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第十五話

 秀流が東京に戻ったのは、技術選が終わってから1週間たったある日曜日のことだった。結局、自分の実力の限界を、まざまざと見せつけられたそんな大会に終わってしまったが、なぜか彼の心は意外にすっきりしていた。技術選の終わったあの夜、飲み屋で知り合った鈴子との会話で、多少心が癒され、改めて新しい気持ちで前に向かうように切り替えが出来たのだ。

 彼は部屋に戻ると、大きなボストンバックをポンと投げ出し、カーテンを開けた。午後の日差しが一気によどんだ部屋の空気を浄化してくれそうな気がした。秀流は郵便受けにたまった手紙やDMなどを取りだした。ほとんどが小賀坂のチームからの各種案内状だ。小賀坂チーム技術選打ち上げの件とか、スプリングキャンプの件とか、自分がスキーで飯を喰っているのは分かっているが、いい加減うんざりしてくる。その中に一通の可愛い封筒が紛れていた。水色の下地に薄く花柄がプリンティングされた小さな封筒の裏側に、濃紺のインクでしっかりと麻衣子と記されている。
『・・・・。』
秀流は言葉を失った。技術選の結果を手紙はおろか電話でさえも彼女には伝えていなかったのだ。後悔のベールが彼の心中を覆う。そのベールをかけたままで彼は封筒を開封した。
『秀流へ
 元気でやってる?私はめちゃくちゃ元気やで。このあいだスキージャーナル買ったらほんまに秀流が出てたからびっくりしたわ。えらい立派になってんねー。友達にその話したら、たったの一年ぐらいでそんなとこまでいく選手はすごいって言うてたわ。なんか私も鼻が高いって感じ。きっとこの手紙が着く頃にはナショナルデモっていう肩書きがついた人になってるんやろね。そんな有名人の彼女でいれる自分がすごく嬉しいよ。ここまで我慢した甲斐があったってもんやろ。それに秀流がデモになんかなったら、いつでも雑誌に秀流が出てるわけやからあんまり寂しくならんし、何よりも秀流の一番の夢が現実になってんから、私も心から喜んであげられる。
 いつも、東京と盛岡で逢う事がなかなか出来ない二人やけど、ようやく一段落しそうな感じやもんね。このオフにはきっと帰ってきてね。あんまり上手や無いけど秀流のためにたくさん料理を作って待ってるから・・・・
 これから春になったら小賀坂の合宿がまた増えると思うけど、体には充分に気をつけて頑張ってや。応援してるからな。
                                        麻衣子 』

「あほか・・・。」
 小さな声が彼の唇から洩れた。あれほど派手に東京都予選の事を手紙に書いて送ってしまったのだから、今回の手紙に対する自己嫌悪感は大きい。なんといって彼女に結果を伝えればいいのだろう。そう思うと、こうやって彼女からの手紙を読むことさえも苦痛に感じられる。全ての物を投げ出してここから立ち去りたい衝動に駆られた。秀流は机の上のフォトスタンドに目を向けた。以前二人で安比に行ったときの写真。安比タワーホテルの前で肩を寄り添って二人はニコニコ微笑んでいる。本当にデモになろうとして良かったのか?写真の中の二人はごく普通の恋人同志に見える。ごく普通を選べなかった自分がとても惨めに思えた。そして写真の中の彼女の笑顔が彼により一層の寂しさを与えようとする。彼は、髪を書き上げるとフォトスタンドを裏返し、目を閉じ、机に腰掛けた。そのとき携帯が高らかに青山テルマの着メロをならした。秀流の絶えきれない感情だけで淀んだ静寂した部屋の雰囲気を一気に現実に引き戻す。
『麻衣子』
携帯の液晶はその名前を浮かべていた。深く息を吐くと秀流は受信ボタンを押した。
「もしもし・・・。」
「あ、秀流?」
 明らかにその相手は彼女だった。
「お、おー・・・。」
「私、麻衣子。分かる?」
「あ、あー分かるよ」
「今どこ?」
「ん、今家に帰ってきたとこやねん」
「なんや、帰ってたんやったら連絡頂戴よ。こっちはめちゃくちゃ心配しててんから。」
その声は今の秀流にはうるさく感じられるぐらいに明るかった。更に彼女は話を続ける。
「あ、それで技術選どうやったん?もう終わったんでしょ。」
「あー終わったよ。」
「ほんで、どうやったん?」
「・・・・。」
「どうやったんよ。じらさんとおしえてよ。」
やや麻衣子の口調が荒くなるのが分かる。なかば、その声にせき立てられるように秀流は開き直った言葉を返した。
「いちいちうるさいなー、もしもいい成績やったらもっと早うに電話してるわ。」
「・・・・。」
電話の向こうでの麻衣子は何も答えてくれない。秀流はその沈黙が余計にいやだった。
「なんやねん。がっかりしたんやろ? でも、それが俺の実力やねんから仕方ないやろ。」
話ながらも自分はこんな事を言いたくないと心で叫ぶ秀流がいる。早く謝らなければと思いながら携帯を握る秀流がいる。
「・・・何とか言えよ。黙っててもわかれへんやろ。俺かて一生懸命やってんからな。」
「秀流・・・・。」
麻衣子の小さな声が携帯の向こうで響いた。
秀流はいたたまらなくなった。これ以上麻衣子の声は聞きたくない。今は一人にして欲しい。技術選の夜、鈴子と話したときのように何故か素直な自分になることが出来ない。
「とにかく今は一人にしといてくれ。」
そういうと、秀流は携帯を一方的に切った。今までその携帯を持っていたことさえ信じられなかった。彼は麻衣子との間の絆をこれほどまでに重荷に感じたことはなかった。昔、盛岡で一緒にいた頃は何の見栄も嘘もなく、優しい気持ちだけで彼女と接することが出来たのに、たった一年の月日が二人を、いや秀流をここまで変えてしまったのだろうか。
 秀流は閉じた携帯電話をじっと見つめている。受話終了後のブルーのイルミネーションがまだ静かに輝いている。
と、また着メロがなった。携帯を開いた
『麻衣子』
分かっていた。秀流には携帯を切った瞬間に再度ベルが鳴ることが。だが、今度は先ほどとは違う。秀流の手は携帯を受けることを拒んでいる。静かな部屋の中に青山テルマが鳴り響く。
『・・・・・。』
やがて、ベルは鳴り止み、再び部屋の中には重い静寂した空気が漂っていた。秀流は携帯を見つめながら涙を流した。
「マイちゃん、俺は・・・俺は・・・あかんねん・・ごめんな・・」
切れた携帯電話は、その言葉を麻衣子に伝えることは出来なかった。
(次回へつづく)


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