ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第十一話

1月29日 車山スキー場 快晴
 いよいよ秀流にとって最初の難関がやってきた。
長野県車山スキー場には東京都スキー連盟に所属する基礎スキーヤー総勢350名が集まっていた。全日本スキー技術選手権大会 東京都予選、この大会での上位20名が全日本技術選へとコマを運ぶことが出来る。全日本に行かなければ当然デモになることはない。東京都の大会は雪無し地区であるにも関わらず、日本で最大の激戦区で、過去にも多くの全日本デモを送出している地区なのだ。それだけではなくついこの間まで、インカレや国体で現役の競技レーサーとして名を売っていた選手達も多く出場する。東京都を制するものは全国を制す、といわれた時期もあるほどにレベルの高い予選なのだ。
 秀流も、取りあえずは小賀坂のチームとして登録されているので、それなりの評価はされるであろうが、果たして何処まで自分のレベルが通用するのか、そこにわずかながらの不安を抱いていた。
そんな秀流の不安とは無関係に競技は進行していった。
 最初の種目は急斜面パラレル。秀流の比較的得意とする種目で、秀流をずっと見てきた関口のお墨付きである。斜面はビーナスコース。硬くそして冷たくはりつめたアイスバーンの急斜面、スタートゲートからは斜面の中腹は確認できず、見えるのはゴールエリアのジャッジ席のみ。秀流はゲートから離れた場所に腰を下ろし、先行してスタートする選手達の滑りをしばし眺めている。緊張・・・恐怖・・・孤高。 
「岩木! そろそろスタンバイだぞ」
声のする方を見ると黒のオガサカジャケットを着た相原がいた。
「は、はい」
と、その時同じオガサカチームの海野がスタートゲートから飛び出していった。高い腰の位置、比較的オーソドックスな脚部の使い方、全日本デモとして申し分のない滑りだ。秀流はその滑りを追いかけ、海野がゴールに入ったのを見届けると、深く目を閉じて左手を胸にそっと当てた。
「ふーーーっ」
彼の発した白い息が彼の前を通り過ぎた。

スタートゲートに秀流が立った。横には相原がいた。KC-RVの表面について雪をスクレ-バではがしてくれた。
「秀流!大きく息を吐きながらターンして行けよ!」
どこからか聞き慣れた声が聞こえる。スタートラインの横を見ると、あの関口が立っていた。関口は秋田県連のコーチでもあるため、今回の都連の予選には基本的に関係はない。とは言え、この時期にこんな他人の大会を見物に来るほど、暇な人間でもないことが秀流にもわかっていた。
「関口さん・・・。」
ゴールエリアのフラッグが振られる。 秀流はいさぎよくスタートラインを切った。歓声が上がる。だが、今の彼にその歓声は聞こえなかった。今までの合宿で得られた感覚がそのまま斜面に刻まれてゆく。滑らかで且つ力強い秀流本来の個性がピステに表現される。股関節を柔軟に使い、深い体軸を用いたカービングスキーだ。腰の向きと板の向きが見事に調和し、その動きに途切れがない。チアホーンが激しく鳴り響く。
果たして何秒間のドラマであったろうか。気がつくと秀流はゴールエリアに入っていた。その時始めて観衆の声を耳にすることが出来た。観衆の中、ゴールエリアを出、得点の電光掲示板に目をやった。95、94、94の高得点が表示され、歓声がピークを迎えた。同じく小賀坂の海野が寄ってきて、秀流の肩をポンとたたき言った。
「おい、まじ? 俺と同点で今のところラップだよ。」
「マジ?ほんまですか。」
ようやく秀流の顔に笑顔が戻る。今までの緊張が嘘のように消え、現代っ子らしい明るい表情を会場で始めてみせた。
関口がやってきた。顔には満身の笑みを浮かべている。
「あんまり目立ちすぎじゃない? 久哉がもう引退するってぼやくぞ。」
「関口さん・・・。」
「その調子。後はお前の得意の乗りで早く大会を終わらせてしまえよ。」
「まんず いいあんべだ」
最後の一言は懐かしい秋田弁だった。そう言うとサロペットのポケットに手を突っ込んで背を向け去って行った。

 結局、東京都予選の優勝は前評判通り 佐藤久哉 に終わった。しかし秀流も4位に入賞し、全国大会への切符を手にいれることが出来た。全日本デモの数人を抜いての入賞であるから話題性も多い。さらに全くの無名の新人がいきなり入賞をはたしたことで、関係者の視線は秀流に集中した。むろんスキージャーナルやスキーグラフィックといったスキー関係の雑誌社が、彼に目を止めないはずがない。大会終了後、彼の周りは報道関係の人間が殺到した。彼自身何だか信じられない心境だった。

 シベリアの寒気団の勢力が強まり、盛岡に吹く風も頬を貫くような冷たさを増した冬のある日、麻衣子は秀流からの手紙を受け取ることになる。仕事帰りにその夜の夕飯のおかずを買い込んで、両手一杯に荷物を持った細い手で、部屋に戻ると何にも手をつけることなく手紙を開いた。
「大好きな麻衣ちゃんへ
 やったで!やったで!ついに全国大会への切符を手にいれたで。今日、車山で東京都の技術選があったんやけど、なんと俺は4位になってしもたわけなんよ。細かいことをゴタゴタ書いてもしようがないんやけど、これでやっと夢に向かって進み始めた感じがするわ。今まで不安で不安でたまらんかったけど、これである程度自身を持ってやっていけそうや。全国大会は3月の中旬に、八方や。関口さんの話やと地区予選とは比べもんにならん位に緊張するらしいんや。まあ、俺は今回が初出場やから、一つ胸を借りるつもりでチャレンジしてみるけどな。あ、それからスキージャーナルの来月号にきっと俺のことがでてると思うから、楽しみにしとってや。なんか俺も少しは有名人になったような気がするで。サインなんかも練習しとかなあかんかな? 明日から、ずっと岩岳でチーム合宿や。いつも寂しい思いさせてもうてごめんな。全国大会が終わったらひとまず盛岡に帰れると思うから、その時にゆっくり逢おうな。もしかしたら、優勝カップでも持って帰れるかもしれんでー。んな、あほな!
 盛岡はこれからまだまだ寒さが厳しくなると思うけど体には十分気をつけてな。ほな今日はこの辺で。
                                      秀流   」
  麻衣子は帰って来たままの格好でコートも脱がずに、ベッドに座ると枕元に飾ってある写真に目を向けた。吐く息が白くなる。冷えきった彼女の体を暖めてくれる人はここにはいなかった。そしてその人は写真の中で優しく微笑んでいるだけだった。
「秀流・・・頑張ってや・・。」
なぜか寂しい冬の夜だった。

 (次回へつづく)

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