ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第十話

 その年の盛岡の師走はとびきりの寒さだった。地形的に盆地になっているため朝夕の冷え込みはとても厳しく、身を刺す寒さという表現が当てはまった。 下の橋の上にたたずみ、中津川をぼんやりと見つめる麻衣子がいた。パタゴニアのブルーのダウンにカシミアのマフラー。白いニット帽の脇からなびくストレートヘアが凍てつく風になびいている。城址公園に目を向けると自然と小さな教会が目に入ってくる。昔秀流と一緒にこの教会の前を通り、多くの参列者からライスシャワーを受けている幸せそうな二人を見かけ、しばし足を止めて気持ちが高ぶった時のことを思い出した。あのときも秀流は、そんな二人に興味が無いようで、教会を通り過ぎると開口一番に
「なあ、来シーズンのウェア、ちょっとアパレル系のウェアにせえへんか?」
と買ったばかりのスキージャーナルを小脇に抱えながら話して来た。その時は
『何で、こんな時に・・・』
と、またしてもスキー馬鹿の秀流に対して感情的な気持ちを抱いてしまったが 今はそんな状況でさえも懐かしく、そして恋しく思えてしまう。
 「ふーっ・・・」
白い息が麻衣子の口元に広がった。うつむきがちに麻衣子は歩く。教会の前を通り、城址公園の脇の道を自宅へと向かった。
 昨日も秀流から手紙が届いた。年末の合宿の後は1日だけ休養でそのまま白馬で特別強化合宿があるとのこと。それには年末の合宿でセレクトされたメンバーだけが参加できるとのこことであったが、事後報告的に合宿に参加したい旨を記していた。文面には麻衣子を気遣う言葉が書かれてはいたものの、秀流の気持ちがまっすぐにスキーにフォーカスされているのが読みとれた。

 結局その年末年始は予想どうりに二人にとって最悪のパターンとなった。秀流は年末の合宿が終わったと思うと、これまた予想どうりに特別強化選手に選ばれ、合宿から帰ってすぐに八方にとんぼ帰りさせられてしまったのだ。東京に戻ってきたのは1月の15日。確実にスキーの腕前があがる秀流とは裏腹に確実に寂しさが増してくる麻衣子だった。むろんその間も秀流からの手紙はあったものの、あの秀流のことである。その内容はスキー馬鹿らしく、やれショートターンの心髄がわかっただの、ロングタ-ンをほめられただの、わかっていたとは言え、日増しに盛岡で一人寂しく秀流の帰りを待つ麻衣子の心情を優しく察した文面が減っていくのがわかった。麻衣子もこれほどに選手がハードに合宿をこなしているとは思っていなかったし、東京に行かせてしまったことを後悔することも時々あった。いつもなら決まって正月に二人で出かける安比スキー場も一人ではとうていいく気にもなれないし、会社の友人達が気を使ってスキーに誘ってくれても、何だかスキーをすると逆に秀流のことを思い出してしまいそうで、気が引けた。そんなわけで麻衣子は今シーズンはまだ一度もスキーのウェアに手を通したことがなかった。

 東京の冬は普段と大して変わることなく、雑踏、埃、騒音、そして孤独だけがせわしなくうごめいていた。八方の合宿から帰ってきたばかりだというのに、秀流は翌日行きつけのジムに出向いた。基本的に小賀坂では強化合宿の翌日、選手はオフ日となっている。しかし1月末に迫っている東京都予選を目の前にしては、秀流も落ちついてはいられなかった。昨日まで体にたたき込まれた感覚を一日たりとも忘れたくはない。そんな想いが彼をジムに向かわせたのであろう。
 平日のこの時間帯はいつもジムはがらがらで、たいてい海野と秀流の二人だけが熱心にトレーニングを行っている。しかし今日はさすがに選手の休日ということもあって海野も来ていなかった。ベンチプレスのウェイトをいつもよりやや多めにして、上腕筋屈伸を行っていると、ジムの扉が開いた。持っていたバーベルをバーにかけ秀流はそちらへ目をやった。そこにはトレーニング姿に着替えた海野が立っていた。
「あ、海野さん・・・」
「あれーーー、休みの日くらい休めって。」
真っ黒に雪焼けした顔で、秀流の顔を上からのぞき込み言った。つながりそうになった眉毛が印象的だ。
「そういう海野さんかて、何でまた・・・。」
不思議そうに問いかける秀流に海野は応えた。
「いーの! 俺は一年通してジム通いを休んだことないから。俺の休憩所って感じ・・・。あ、悪い、続けてくれ。」
秀流は、再度ベンチプレスを持ち上げて屈伸を始めたが、海野クラスの選手になるとそこまで練習をしているのだなと感心させられた。海野は隣にあったシットアップベンチに横になり、軽く腹筋を始めている。
「岩木」
「な、ん・・・ですか?」
力みながらも秀流は答えた。
「お前、彼女いるんだろ?」
急に秀流の力がぬけ、バーベルを再びバーの上に置いた。
「な、何でですか?」
「お前のアパート行くと、郵便受けに女の子から来てますって感じの封筒がよく入ってるからな。」
なんだか、秘密をしられたようで若干不愉快になったが、ぶっきらぼうに秀流は訪ね返した。
「やっぱ、選手って彼女がおったらあかんのですか?」
「そーじゃないって。俺も三枝さんとかいるからね。」
「大事にしてますか?」
「あたり前っしょ・・・」
腹筋を続けながら海野が答えた。
「俺かて大切にしてます。」
「・・本当か・・・?」
海野はさらにことばを投げかけてくる。
「ほんまです。マジで俺、彼女を大切にしてます。」
秀流の顔に一筋の汗が流れた。海野は相変わらず黙々と腹筋を続けている。
「帰った方がいいんじゃない?・・・・俺の場合結婚してるから、・・・・安心してられるけど、お前の場合それとは・・・全然違うんだからな。年末からずっとほったらかしだろ。」
「で、でもあれは合宿が入って・・・。」
「ばかだねえええ、女の子を幸せに出来ない奴は強くなれないよ。仮面ライダーだって女の子には優しいっしょ。」
秀流はことばを失った。それでも海野は腹筋を続けていた。東京都予選まで残すところ後10日と押し迫った一月のとある昼下がりのことだった。 

(次回へつづく)

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