ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第八話

 盛岡駅前・・・。夕方。
雨が降り続く。東口のロータリーの周りには雨の中、帰路を失い迎えの車を待つサラリーマンや学生達で湧いていた。黒のデュアリスがロータリーへと入って来た。降り続く雨の水滴が磨かれたボディの上を流れる。灯けられたイエローのフォグランプが、そぼ降る無数の雨滴を夕方の雨天の空間に映し出す。デュアリスはやがて待合いの車両停車場に停まった。駅の正面口からベージュのワンピースをまとい、紺色の傘をさした中年の女性がデュアリスに向かって歩いて来る。一方の手には大きなボストンバッグと水色の紙袋をぶら下げている。やや背が低いせいか歩幅が狭く、小走りにさえ見える歩き方である。
 デュアリスのドアが重い音を立てて開いた。ビンテージの501を履いた長い足が車内から伸び、やがてその先にあるアディダスのスタンスミスが地面に届いた。小走りの中年女性がさらに速度を増しデュアリスへと近寄る。ビンテージの女性は中年女性に軽く手をあげた。
「いやああ、ほんまにすごい雨やね~。」
中年の女性は、麻衣子の母親の茜。小走りを続けながら声を出した。
「そやねん、昨日から盛岡も梅雨入りしてん。途中大丈夫やった?」
「麻衣子に言われてたから、一応長袖のジャケットとか持ってきたで。」
「盛岡は梅雨の時、めっちゃ寒い日があるねん。」
麻衣子は茜のボストンバッグと紙袋を持つと、トランクに積み込んだ。二人が乗り込んだデュアリスは駅前のロータリーを出ると開運橋方面へ向かった。
「お母さん、ごめんな。今日は仕事忙しくてご飯の準備してへんねん。」
「あんた、毎晩そんな生活してんの?」
「違うてええ、ちゃんと自炊してるって。こう見えても秀流は私の肉じゃがが大好物やってんから」
「そう、そやったら良いんやけどね。お父さんも心配してはったよ。」
「盛岡に来るなり、説教はやめといてや。うちはもう大人なんやからね。」
デュアリスのワイパーがせわしなく動く。麻衣子は信号の前で止まった。
「せっかく盛岡来てんから、何か美味しいもの食べる?」
シートに体を埋めながら茜が麻衣子の方を見た。
「そやなあ、お母さんな、ほらあの盛岡で有名な、ほら、あの・・麺が食べたいわ。」
「冷麺!」 ときっぱり麻衣子。
「そう、それ。美味しいんやろ」
「まあ、うちも最初来た頃は美味しいと思たけど、何回も食べてると飽きてくるわなあ。そやけど盛岡で有名な店あるから、そこに連れてったるわ」
そう言うと麻衣子はホテルカリーナの手前の駐車場に車を入れた。さっきよりも雨は弱くなっていた。

「ここの冷麺は盛岡では一応有名どころやねん」
大同苑のテーブルに腰掛けた二人は話を続けた。
「へええ・・・  冷麺って辛いんやろ。 あんた大丈夫なん? あまり辛いもん得意やなかったやろ」
「もう慣れてもうた。秀流も甘党やからほとんど冷麺なんか食べへんかってんけどな。」
「あ、そう・・・ ほんで秀流さんとは上手くやってるん? お母さん、びっくりしたで。突然あんたが大阪に帰りたいなんて言い始めたから。」
眉毛をぴくっと上に持ち上げて麻衣子が笑みを浮かべて答える。
「ごめんな、へんなことで心配かけてもうて」
グラスの水に口をつけ、麻衣子は続けた。
「お母さんにも話したけど、秀流は今東京におるやんか・・・。」
茜は軽く頷きながら話を聞いた。
「ほんでな、秀流が東京に行ってもうたらな、何かこの盛岡におるのがすごい辛くなってもうたんよ。」
「何でやの?」
「・・・・・何見ても秀流を思い出してまうんや。 カワトクかて二人で買い物に行ったし、この商店街かて二人で歩いたやんか。 とにかく盛岡全部に秀流の思い出がしみこんでもうてんねん。」
「・・・・・」
三つ編みに髪を束ねた店員が来た。
「冷麺とハーフ冷麺 お持ちしました。」

二人はそれぞれの冷麺に箸を付け、一口勢いよく吸い上げた。
「どう?」
口の中にまだ麺をほおばったままで麻衣子が言う。
「・・・・・」
茜は、麻衣子を見つめて何か言いたそうにしばらく口をずっと動かして、ごくりと口の中の麺を飲み込むと
「これ、お母さんには噛み切れんわ。なんやゴムみたいやで。」
「それが盛岡の冷麺やっちゅうの」
「そやの? 盛岡の人らみんな顎が強くなるわな~。」
「それ、秀流とおんなじ・・・」
「え?」
「昔な、初めてこの店に来たときに秀流も同じこと言うた・・・・。」
麻衣子の箸が止まった。
「お母さん、うち電話で大阪に帰りたいって言うたけどな、今はそう思てへんねん。」
「どうしたん?」
茜も箸を止めて麻衣子の目を見た。
「秀流が東京に行ってしばらくの間、ここにおってもしょうがないな、とか、ここにおったら余計に辛くなるなって思てたんや。・・・・ そうかて、どこに行っても秀流の思い出だらけやねんもん・・・・・。そやけどな、秀流の送ってくれる手紙を見てる内にな、秀流は私以上に頑張ってるんやっていうことがわかってきたんや。」
麻衣子の視線は宙に浮いていた。
「東京におる秀流にな、盛岡とか田沢湖とかのいろんなことをな、教えてあげて励ましたろって思うようになったんや。きっと東京って寂しい街やと思う。そやから、うちがここにいて秀流の心のふるさとになったろって決めたんや。」
「麻衣子・・・」
少し肩をすくめながら、麻衣子は続けた。
「お母さんは小岩井の一本桜って知ってる?」
「知ってるよ。」
「何で知ってんの?」
「去年、NHKのドラマによう使われてたんや。 あ、そやそや今度そこに連れてってや。お父さんに写メ送ったらなあかんから・・」
「そうなん・・・うちら、あの一本桜に二人でよう行ったんや。秀流はあの桜が見える景色が好きやねん。桜がいつも自分を待っててくれてる気がするっていうてな・・・。」
麻衣子は箸を置いた。
「お母さん、うちな秀流の一本桜になったげるねん。秀流が東京で寂しい時も、いつか大きなって帰って来たときも、秀流をずーーと待ってる桜になったげるねん。」

雨はいつの間にか止んでいた。うっすらと西日が盛岡の街並みを照らしていた。

(次回へつづく)

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