ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第七話

 月山の雪はさらにザラメへと化していた。平日のゲレンデのため、スキーヤーは少ないが、それでも初夏の雪は秀流達の足下にまとわりつきブレーキをかけてくる。足首を巧みに使いながら板を前方に走らせることがその斜面では要求される。
 秀流がスタート位置に到着した時、森山はすでに滑り終えており、斜面下方で佐藤と森山が話をしていた。
「13ターンか・・・」
秀流は目を閉じてスロープの中に13ターンをイメージした。だがそこには田沢湖の黒森山のスロープがあった。遠く前方にはエメラルドグリーンの田沢湖が広がる。麻衣子と一緒に滑った黒森のコブが広がっていた。いつも麻衣子が先に滑る。麻衣子も素人ではないので着実にコブの起伏を滑り降りていくが、黒森山を一気に滑るのにはよほどの気合いと体力が必要だ。大抵は途中の一本松あたりで麻衣子は止まり、秀流がそれを確認してからスタートする。颯爽とコブを滑り降りる姿は単純明快にかっこいい。そしてさりげなく麻衣子の前で停止すると
「どやった?」
と麻衣子に聞く。
「かっこいい!」
「かっこいいやなくて、なんか無かった?」
「んん、よくわかれへんねんけど、私が技術選のDVDとか見て知っている滑りに比べたら、スペースが狭い気がするねん。」
かっこいいと言われた後で、この指摘。天国から地獄の気分なのだろうが、秀流にとって麻衣子の言葉が覇気を奮い立たせてくれたのだ。
そう、いつもいつも麻衣子が彼のコーチだったのだ。

 今は佐藤がコーチ。森山へのレクチャーが終わったらしく、佐藤の手が上がった。
ほっ!と軽く息を吐き、
「行くでええ! 麻衣ちゃん」
秀流がスロープへと飛び出す。13ターンともなってくると必然的に速度が上がってくる。ここでコブを使ってジャンプを入れることは楽だ。ただしこの合宿でレベルになってくるとジャンプはレベルの低さの証明になってしまう。あくまでも雪面コンタクトを取りながら脚のストロークを長く使うことがポイントだ。ザラメとはいえコブは大きい。懐を深く保たなければ一瞬で体があおられてしまう。縦長のラインを意識してコブのジャングルを滑り降りる。
「10・・・・・・・・・11・・・・・・・」
佐藤のシルエットが目に入った。
「12・・・・・・・・・・じゅううう・・・・・・・・さあああああああんん」
秀流の板は佐藤の前で止まった。息切れしたその体で佐藤をのぞき込む。UVEXのCROWをカチューシャにした真っ黒な顔の眉がぴくっと上に上がり、その口元にクールな笑みを浮かんだ。
「いいよ。そんな感じ。ただ前半部分にちょっと腰の位置を固定する癖があるから、もっと積極的に体軸を谷側に落とすようにして。で、そのときに圧が抜けないようにがんばってね。」
「はい」 息切れはまだ止まらない。
「じゃ、次は11ターンで行ってみよっか」
「はい」
11ターンには先ほどのような驚きはなかった。もう秀流には何の疑いもとまどいもなく腹を決めていた。これが選手なのだと・・・。

 こうして秀流にとっての最初の合宿、ターンインターバルは6ターンにまで変更され、高速下でのコブへの対応技術を磨くことになった。むろんどの選手達も死にものぐるいのトレーニングになったことは言うまでもない。

 その夜、秀流はダッフルバッグの底から携帯電話を取り出した。麻衣子と盛岡で別れる際に、「携帯電話で話したら気持ちが負けてまうから・・・」という約束で、お互いに携帯電話での会話は避けていた。ソニーの905iの電源はすっかり落とされていた。黒いボディに指をかけクラムシェルを開く。
・・・電源ボタンを長押しする。液晶面に光がともり、welcomeの表示。
 ほんの少し秀流は携帯電話を見つめた。いつもは自分の滑りを彼女のイメージでコーチしてくれていた麻衣子。的確とは言えないが、秀流にとって麻衣子の不器用な表現は適度な緊張感に、毎回言ってくれる「かっこいい!」
は爽快感となり、彼の滑りを輝かせていた。
「体軸を下方へ・・・」「股関節の傾きをもっと考えて・・・」「骨盤も同じだよ・・・」
佐藤のアドバイスは的確かつ鋭く秀流に取って刺激や勉強になっていることは確かだった。でも、なぜか自分が自分らしく輝いていない気がしてならなかった。
 携帯電話の待ち受け画面、麻衣子と一緒に行った安比でのツーショット。秀流の変顔と麻衣子の笑顔。あの日は激寒のゲレンデ、寒さに耐えながら取った一枚、幸せの一枚だ。
「麻衣ちゃん・・・」
麻衣子の笑顔が液晶をのぞき込む秀流をじっと見つめている。秀流の顔に優しい笑顔が浮かび上がった。
やがて秀流は電話帳画面を開き、麻衣子の番号を検索した。
「・・・・・・」
右手の親指が発信ボタンに触れた時、秀流は大きくため息をついた。
「あかんな、俺は・・・」
そういうと、その親指は電源ボタンに移動し長押しをした。GODD BYEの文字が液晶画面に表示され、やがて灯は消えた。
秀流は携帯電話をたたむと再び、ダッフルバッグの底にしまいこんだ。
窓の外はぱらぱらと雨が降り始めていた。

(次回へ続く)

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