ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第五話

 心地よい風が秀流の頬をくすぐっていた。秀流が東京へ出てきて早くも1ヶ月が過ぎようとしていた。秀流にとって人混みはあまり得意な分野ではなく、今も朝の通勤時には(むろんジムへ通うだけなのだが)、人一倍の体力を消耗してしまう。今のところそれが彼にとっての最大の悩みであった。しかしそんな彼も今日は久々にその雑踏から開放されていた。小賀坂の新人合宿が、ここ山形県の月山で始まったのだ。南は兵庫、北は北海道まで、全国のスカウトから選ばれてきた選り抜きの新人選手達総勢約30名が、初夏の残雪を求めて遠路はるばる月山に集まっていた。秀流もその中の一人で、初めての合宿にやや緊張の色を隠せないようである。
 午前10:00、選手達がえびす屋山荘の前に集合した。当然、春スキーよろしく全員薄手のサロペットにTシャツや薄手のアウターと、汗対策は万全だ。秀流は先日先輩の海野からもらった「転人」のTシャツをにデサントのブルーのサロペットを身につけていた。ただ、今まで彼はフィッシャーRC4を使用していたのだが、小賀坂の選手になったということで、板は完全支給されトライアンのSLを用いている。周囲を見渡すとみんなそれぞれその姿がさまになっており、やはり上手そうな独特の雰囲気を持っている。秀流はよりいっそう緊張する自分を感じ取っていた。みんな初対面故にほとんど会話もなく、ただコーチが出てくるのを待っているだけである。秀流にとってこの重苦しい雰囲気はいたたまれなかった。と、山荘の乾燥室の扉が開き一人の男が出てきた。ブルーアウターに(背中にオガサカのロゴが入った)に黒のサロペットを着用し、EXをかついでいる。歳の頃なら40前後といったところだろうか、身長は165センチ程度、小太り。ただ、妙にその顔の作りが童顔であるので親近感を覚える。男はこちらを見るなり大きな声であいさつをした。
「おはようございます。」
やや甲高い突然の大声に、みんなあっけにとられ「おはようございます。」と、応えはしたものの明らかにその男の声には負けていた。男はかついでいたEXを立てて、左手で支えると更に続けた。
「皆さん今日はご苦労さまです。私は今回皆さんの庶務的なお世話をさせてもらいます相原といいます。 みんな緊張してる~?
えー、せっかくの合同合宿だから、参加メンバー同士仲良くなることも大事なので、各自簡単に自己紹介でもしてもらおうかな?」
と、また小屋の扉が開き何人かの男達が出てきた。今度のは相原とは全く異なる雰囲気を持つ男達である。秀流は彼らを凝視した。
『あ、竹田征吾だ・・・・!』 心中での大声と大騒ぎ・・・。
『げ、丸山貴雄・・・』 『まじ? 佐藤久哉!!!』
秀流は興奮を抑えられなかった。こんなところにいる自分の場違いさを痛感する瞬間だ。
「じゃ、コーチもそろったから、自己紹介ひとりずつ」と、相原。
いつの間にかコーチ陣を含めて円陣の体系に並んでいた。
「じゃ、君から」と、相原は自分の右隣の長身の男を見た。
長身の男は真っ黒な顔に今風のやぼったそうな髪型、あごひげをはやし、少し不潔そうな雰囲気さえする男。右の耳のコインのピアスが象徴的だ。
「ええ、長野から来ました五十嵐大樹です。 えええ・・歳は19歳です。」
『19歳? 若い!』と秀流の心の声
「おはようございます。新潟から来ました森山竜です。21歳。高校時代はずっとアルペンをやっていて、基礎スキーは全くやったことなかったので、緊張しています。えええ・・・相原さんに言われて先シーズンの終わりに2級を取りました。」
『アルペン上がりかあ・・・』
やがて秀流の順番が回ってきた。大阪人の習性としては一発受けを狙ってしまうのだろうが、さっきの2級を取りましたの時にでもぴくりとも笑いがでなかったこの雰囲気の中で、彼らを笑わすのは相当につらい。どうするか?
「おはようございます。 秋田の岩木秀流です。すぐるという字は優秀の秀に流れると書いて秀流と読みます。」
『あかん、この雰囲気では笑わされへん!』
「なんかめっちゃ緊張しています。合宿中に少しでもこの緊張感がほどけるように、仲間をたくさん作りたいと思いますのでよろしくお願いします。」
と、途中から太い声が割って入ってきた。
「秋田に彼女いるんだよな。」
声の方へ目をやると山小屋の扉からこっちへのそのそと歩いてくる柳沢がいた。
「・・・・・」秀流は言葉を失った。これまた恥ずかしい。
「あれ、言っちゃいけなかったっけ?」
急にその場の雰囲気が和む。各自の顔にほほえみがこぼれた。
「ま、そういうことは夜の部の話として、とにかく頑張りますのでよろしくお願いします。」
柳沢はやがて秀流の横に割り込み、秀流の肩をぽんと軽くたたいた。

自己紹介も一通り終わり、相原が事務連絡を行う。
「・・・以上で、合宿の日程については説明を終わりますが、今回皆さんに小賀坂の方からチームウェアの支給があります。さっそくですが、今から着用して頂いて、合宿中は必ず着用されるようお願いしますね。」
秀流はとても嬉しかった。今まで確かに小賀坂の選手としての生活をおくってきてはいたが、自分が選手なのだという実感が今一つ湧いてこなかった。しかし今日ここで小賀坂のチームウェアを着ることで、ようやく選手として自覚を持てそうな気がしたからだ。また、一般の基礎スキーヤーからすると小賀坂のユニフォームはいつの時代も最大の憧れであって、秀流の場合もやはりそれに憧れていたスキーヤーの一人だった。
 相原が、横にあった大きな段ボール箱からウェアを取り出し、言った。
「サイズは一応こちらの方で、皆さんの健康診断の結果を基に作らせてもらったから、おそらくぴったりだと思います。・・・えっと・・それでは今から名前を呼びますので、ウェアを取りにきて下さい。」
グレーのジャケットを片手に相原が言った。
「五十嵐君・・・・平川君・・・・園部君・・・・森山君・・・」
次々に相原は名前を呼び、ウェアを手渡していく。秀流は待ち遠しかった。そして名前を呼ばれるのを待つ間、今回このジャケットを着て写真を撮り、麻衣子に送ってやろうと考えていた。
「岩木君。」
「はい」
秀流はやけに明るく元気な声で応えてしまった。何となくそんな自分が恥ずかしかったが、相原のところに歩み寄りウェアを受け取った。こういう時にさりげなくそのウェアを受け取ることが出来るようになれば、一応玄人っぽく見えてくるのだろうが、やはりその嬉しさは隠しきれずウェアを手にした途端、大きく目を見開きニコッとしてしまった。相原もその表情が目に入ったのか、
「頑張ってね!」
と、激励のことばを送っていた。秀流はそのジャケットをすかさず着てみた。自分が基礎スキーを始めるようになって、ずっと憧れていたウェアだ。腕を通しながら様々な想いが脳裏をよぎっていた。ジャケットは、グレーをベースにしたデサント製のジャケットで、肩の部分にゴールドのラインが配色されている。そして何よりも秀流が嬉しかったのは胸についた金色の小賀坂のロゴマークの刺繍だった。デモ王国小賀坂のチームロゴを胸につけて今日から滑ることが出来るなんて、なんだか夢のようでさえあった。このウェアを着るだけで自分が凄く上手くなったような気がした。
「それでは今から今回の合宿の講師を紹介します。」
「えー、まず主任講師を勤めますのが小賀坂スキーの御大、ナショナルデモの佐藤久哉コーチ。」
あの、ミスターデモンストレータとまで言われた佐藤久哉が目の前にいるだけで、秀流は背筋がゾクゾクとする想いであった。
「同じくナショナルデモの丸山コーチ。」
丸山といえばショートターンの大御所だ。特にコブ斜面で魅せるバンクターンは人間離れしている。
「同じく竹田コーチ。」
竹田征吾、長身を活かしたダイナミックな滑りでショートからロングまでをそつなくこなす。とくに足の長さをふんだんに使ったストロークの長いターンは見ているものを魅了する。
「元ナショナルデモの関口コーチ。」
関口淳は秋田県連出身の元ナショナルデモだ。いわゆる基礎スキー全盛期に小野塚喜保、佐藤正人などと共に技術選をわかせた選手の一人だ。

 関口は今東京で秀流の専属コーチをしている。彼の紹介が終わると彼は頭を下げながら、秀流の方にちらりと視線を送った。秀流も視線を送り返した。関口の視線からは、秀流への激励の想いを感じることが出来た。
 その他にも超スーパーデモの面々が揃っていた。この連中と一緒に滑れるのか?と思うだけで秀流は嬉しかった。

『大好きなマイちゃんへ
 今、俺は小賀坂の新人合宿で月山に来てる。月山はまだまだ雪が多くて、雪上での滑走感覚を満喫することが出来るんや。小賀坂っていうのは、選手を上手に育てるメーカーやと思うわ。それに、全国からいろんな奴が集まってきてるし、凄い刺激になるで。俺の講習班は、驚いたらあかんで!何とあの佐藤久哉さんや。久哉さんはやっぱ、めちゃ上手いわ。そやけど今日俺な、久哉さんに股関節の使い方が上手い言うてほめられてんで。何や知らんけど、ごっつう元気が出てくるで。とにかく、この合宿で充分な成果が出せるように頑張るから、応援しとってや。
 あ、それからようやく憧れの小賀坂のチームウェアを着ることが出来たで。今度写真撮って送るから楽しみにしててや。ほな今日はこの辺で。              』
 その日秀流は夜のミーティングが終わった後、みんなが懇親会を開いている途中一人で部屋に戻り、麻衣子に絵はがきを書いた。月山の雪渓が見事に映った鮮やかな絵はがきだった。
 東京は、そろそろ梅雨入り宣言が出される時期になっていた。
                                   (次回へつづく)

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