ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第四話

 5月の盛岡は、緑にあふれた穏やかな日がつづき、気候的には最高の季節といえる。今年も例にもれることなく文字どおり五月晴れの晴天がつづいた。昨シーズンは大雪だったためゴールデンウィークを八幡平で春スキーに専念する若者達も多く見受けられた。また街では、恋人達や学生が暗かった冬から解放され、華やかな賑わいを振りまいている。一年を通じて盛岡が最も活気づく季節、それが5月であるといっても過言ではないだろう。

 『ピピピピピ、ピピピピピ、・・・・ピピピピピ・・・』
電子音が鳴り続いている。ピンクに淡くアイリスの花柄の刺繍を施したカーテン越しに朝の光がうっすらと洩れている。フローリングを一面に敷き詰めた部屋にもその光は朝の訪れを伝えるべく、躊躇無く潜り込んでくる。光のかけらは床の一部にそっと置かれたショートパイルのピンクのサークル絨毯にも届いていた。窓際のアンティーク調の机に飾られた白いバラの花が、光の中でよりいっそうその白さを増している。それでも電子音は相変わらず鳴りっぱなしだ。と、その映画のストップモーションの様な白い壁の部屋のコーナーに機能的に配置されたセミダブルのベッドが、のそのそと動いた。いや、厳密にはベットが動いたのではなく、ベットの上の布団が動いたといった方がよいだろう。やがてその動く布団から、一本の白い腕がするりと伸び、一直線に電子音を鳴らしつづける目覚まし時計に到達し、頭のボタンを押した。

 5月のとある土曜日、麻衣子は遅い朝を迎えていた。麻衣子の勤める金融会社は、この盛岡ではめずらしく完全週休2日制を採用している。よって本日彼女はオフである。目覚ましは丁度10:00を指していた。いつもなら、この曜日のこの時間、麻衣子は朝シャンを終え、化粧も念入りに済ませ、さらには鏡の前で、『今日はワンピース?それとも・・・』などと頭をひねっているころなのであろうが、今の彼女にはその必要がなかった。彼女が休日の朝に身の回りのお洒落に専念する最大の理由の一つは、秀流(スグル)とのデートである。いつもこのくらいの時間には秀流がエクストレイルを走らせて彼女を迎えに来る。彼の自宅は秋田県の田沢湖町、秋田とはいっても盛岡との時間的な距離は車で約1時間程度のところだった。エクストレイルの2000ccのエンジン音が窓越しに聞こえると、彼女は一目散に扉を開け、秀流のところへ駆け出して行きたい気持ちをわざと押さえて彼がマンションのベルを鳴らすのをじっと待っている。そして、ベルがなるとインターフォン越しに『どちら様ですか?』などとわかっているのにわざと訪ねる。『おはよう。俺や。』秀流が答えても『あ、間に合ってます。』とまたまたじらす。でも、この駆け引きというかある種のいじめが麻衣子にとっては愛されていることの確認手段の一つだった。でも今ではその必要も無くなっていた。あの春の日以来悩んではいたものの、秀流は結局小賀坂スキーの奬めで東京に行き、将来のナショナルデモを目指し、メーカーの選手としての生活をおくることになったからである。むろん二人ともそれによる離別を、悲しみはしたものの、やはり最愛の男性、秀流の夢を現実にしてやりたかった麻衣子のやさしさと強さが、彼を東京に行かせるように決意させた。麻衣子は盛岡駅で秀流を笑顔で見送った。

「絶対デモになってや。毎月スキージャーナル見てるからな。」
「なったるで! 見ててや・・・。そやから・・・」
「そやから、何やの?」
「そ、そやから・・・ずっと待っててな。」
「・・・5年でも10年でも待ってるわ。秀流が私のことを思ってくれてる内はな」
「ありがとう。元気でな!」

列車のベルが鳴った。二人は最後にどちらからともなくプラットフォームで抱き合った。いままですぐそばに居ることができたから、横に居るのがあたりまえのことだとお互い思っていたが、これからずっと逢えなくなると思うと、あたりまえの頃が妙になつかしく思えてきた。きっとこんな田舎の駅では周囲の人間に、好奇な目で見られたことだろう。でもそんなこと二人にはどうでもいいことだった。新幹線が駅を出た後、麻衣子はマンションに戻り、思い切り泣きじゃくった。ベッドにもぐり込み秀流の写真を手に、子供のように泣きじゃくった。彼女の痛々しいまでの優しさが涙の粒となって枕を濡らしていた。


 麻衣子は遅い朝食をとると、ようやく顔を洗い心身共にエンジンをかけた。とはいえ、果たして今日は何をするべきか?気がつくと時計はもう11時を過ぎていた。カーテンを開け外の光を部屋いっぱいに取り入れたその時、窓の下に郵便配達夫の姿が見えた。今までぼーっとしていた頭のなかが一気に目覚めた。麻衣子は、パジャマをすばやく脱ぎ捨てると、部屋の隅にあったリーバイスを履いた。そして手ごろなTシャツを着込むと、一目散に玄関を飛び出していった。
麻衣子のお目当ては郵便受けだ。息を切らしてたどりつき、中をのぞき込むと
「あったー!  やりー!」
 そう、秀流から手紙が届いたのだ。麻衣子はすぐにもその手紙をその場で開封したい気分であったが、『もしかするとその内容によっては、嬉しくて涙が出るかも知れない。だから部屋で読もう。』
と、比較的冷静に物事を考え、そのまま手紙を部屋に持ち帰った。ずーっと待っていた秀流からの手紙だ。何となく封を開けるのがもったいないとさえ感じられてしまう。そのはやる気持ちを押さえつつ手紙の文面へと目を送った。

『マイちゃんへ
 マイちゃん元気にしてるか?俺は東京での慣れん生活を抜かしたらめちゃくちゃ元気にやってる。俺が今おるところは、JR山の手線で高田馬場っちゅう駅で降りて歩いて15分ぐらいの小さいアパートや。ここのアパートは東京やったら結構大きいらしんやけど、小賀坂が半分家賃を出してくれてるから結構助かってる。やっぱいつもハングリーでおらなあかんもんな。
 さて、俺もようやく東京に来て選手としての生活に慣れてきた。基本的には各自のトレーニングメニューはそれぞれが自主的に考えていいんやけど、新米の俺にはコーチの関口さんとか海野さんがついてくれて、陸トレのコーチをしてくれてる。午前中はジムに通って筋トレ、午後は部屋でイメージトレーニング、と朝から晩までスキー漬けやで。そやけどこの辛さに負けてもうたら、せっかく盛岡を離れて東京に出てきた意味がなくなってしまう。マイちゃんの為にもがんばるからな。俺みたいな奴は他にも数名いるみたいで、今月の末に月山で、新人選手の特別合宿があるらしいんや。関口さんが言うには、その合宿で大まかな選手の位置づけが決定されて、その後の社内での待遇も変わるんやて。そやから、ある意味ではその合宿が、選手の入社試験みたいなものらしいんや。なんか俺は今から緊張してるけど、とにかくベストを尽くすからな。・・・・・

 えらく長くなったけど、今日はこの辺で止めとくわ。夏休みには必ず帰れるからまっててな。ほな体には十分気をつけて。
                            さようなら        』

 麻衣子はいつのまにか、涙を目に浮かべていた。別に嬉しいからではない。かといって寂しいわけでもない。今まで張りつめていた緊張が、この一通の手紙で一気に解放されてしまったからだろうか。そして手紙を見つめながら「私もがんばるからな・・・」とつぶやく麻衣子なのであった。
    (次回へつづく)

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