ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第三話

 麻衣子が席に戻ってきた。パステルのポロシャツの襟が彼女の明るさをよりいっそう引き立てる。が、しかし急に彼女の顔が憂鬱に変わった。いつもなら、彼女が戻ってくる頃にはこっちを見ながら手を振ってくれる秀流が、未だに窓の外を眺めたままだからだ。
「フーッ。」
小さなため息が肩から漏れた。さて何と言って彼の気分を転換させるか?本当にスキー気ちがいの秀流の頭を自分の方に向かせるのは至難の技なのだ。彼女はそれを良く知っている。
 以前、二人がつき合い初めて間もない頃、秀流の仕事が忙しくなり、なかなか逢えない日が続いた。いつも電話で「明日は逢われへんの?」と聞く麻衣子に「ごめん、仕事が忙しいんや。」としか応えることのできなかった秀流であるが、ようやく忙しい合間を見つけ二人で逢うことが出来た日曜日に、秀流が彼女を連れていったのは、盛岡市内のスポーツショップだった。その時店内では来シーズンのスキーマテリアルの展示予約会が開催されていた。せっかく二人で逢える大切な時間をスキーに取られてしまった悔しさで麻衣子は少し不安になってしまったほどだ。秀流のスキー狂はそれだけでは語れない部分がある。とにかくいつでも頭の中はスキーでいっぱいなのだ。
 麻衣子は秀流の後方に静かに歩み寄ると、おもむろに彼の肩に手をかけた。
「わっ!」
秀流は後ろを振り向くと、どことなく灰色になり輝きを失った瞳で麻衣子を見つめた。
「お、おー・・・」
麻衣子は決して秀流が驚くことを期待していたわけではないが、案の定、彼のレスポンスはあまりにも無表情なものだった。『こりゃ重傷や。』そう思い、すかさず次の言葉を彼に投げかけた。
「どうしたん?えらい元気ないやんか。」
彼の瞳を見つめながら、麻衣子はテーブルの向かいへと座り込んだ。
「ん、うんー・・・」
相変わらず秀流の瞳はくすんでいる。さすがの麻衣子もここまで変貌を遂げてしまった秀流を見るのは初めてだった。正直彼女は頭を抱え込みたい心境だった。ところが以外にも今度は秀流の方から言葉を発してきた。
「あんなー、今変なおっさんがここに来よってん。」
「おっさんて・・・誰?」
麻衣子は目を丸くして訪ねた。と、秀流は手に持っていた一枚の紙切れを麻衣子に差し出した。
「小賀坂スキー・・・柳沢?」
秀流は、名刺を見て、しかめ面をする麻衣子に頬杖をしながら応えた。
「小賀坂って知ってるやろ。」
「うん、スキーの板のメーカーやろ。」
「そや。そやけど、単なるスキーのメーカーと違うんや。」
「何が?」
「小賀坂は、いわば基礎スキー界の老舗なんや。お抱えのデモの数かて他のメーカーに比べて圧倒的に多いし、最近は他の板のメーカーもデモンストレータを持つようになったんやけど、小賀坂はずっと昔から、小賀坂を履かなんだら技術選に勝たれへんっていうぐらいの伝説を作ったメーカーやねん。」
麻衣子は秀流の勢いのある話し方に引き寄せられるように合いずちを打った。
「例えば伝説のスキーヤーって言われてる佐藤正人、ミスター基礎スキーとまで言われるほどに、巧みなスキーヤーやし、最近やったら佐藤久弥、竹田征吾なんかも名デモとして知られてる。女子やったら白河三枝は知ってるやろ」
「へーっ・・・。」
麻衣子は秀流の言葉にあっけにとられた。自分も秀流に誘われて基礎スキーを始めたが、そういった専門的な知識はあまり持っていない。今、麻衣子は秀流の持つ基礎スキーへの情熱と、同時に豊富な知識をもひしひしと感じている。
「俺も今までは、それは小賀坂が上手い選手に自分とこの板を提供してるだけや思てたんや。」
「そうちがうの?」
「違うんやて。さっきのその柳沢さんておっさんが話とったわ。」
「この世界は、アルペンなんかと違ってインカレやオリンピックみたいにメジャーな大会がないから、なかなかいい選手が見つかれへんねんて。そやからメーカーのスカウトが適当に地方のスキー場に行って素質のある人間をスカウトして来るんやて。そら、そんな簡単にいい選手は見つからんらしいねんけど、あのおっさん流に言わせると、年に一回くらいそういう素質のある人間に偶然出くわすことがあるらしいんや。」
麻衣子はただポカーンと話を聞くだけである。基礎スキーはメーカーがバックアップに廻って、デモンストレータはメーカーで育てて、スカウトが・・・・・。とにかく頭の中で話を整理するのが大変だった。しかし、結論として聞かなければならないことばはわきまえていた。
「なんか判ったような、判らんようなやけど、まあええわ。」
そして結論のことばを秀流に投げかけた。
「ほんで、そのおっちゃんは一体何が言いたかったん?」
秀流は、やや目を伏せながら小さく息を吐き、上目使いに麻衣子の顔を覗くようにして小声でつぶやいた。
「マイちゃんは信じられへんかもしれんけど・・・あのおっさんがそのスカウトやねん。」
「えっ?」
「俺に東京に来て、小賀坂の選手にならんかて・・・。」
「・・・・。」
しばらくの間二人の間に空虚な時間が流れた。麻衣子は混乱していた。きっと秀流はもっと混乱しているだろうが、麻衣子は不意をつかれた分だけショックは大きかった。最後に話したっきり、目を伏せたまんまだった秀流がたどたどしくことばをもらした。
「んな、あほな・・・俺なんかがあの世界で通用する分けないやんな。おっさんもシャレきついで。」
引きつった微笑みが秀流の顔に現れた。麻衣子は秀流の目を真っ直ぐに見つめた。今までいつも身近にいたせいか、秀流のスキーの上手いことは当たり前になっていた。でも客観的にみればやはりそれなりの評価をされて当たり前の滑りだったのだ。麻衣子は今さらながら、秀流の凄さに気がついた。いつもいつもスキー、スキーと馬鹿になっていた秀流。そんな秀流にとって、これは最大のチャンスになる。彼の力を試す最高のシチュエーションなんだと麻衣子は感じ取った。
「秀流、・・それやってみるべきやわ。」
「えっ?」
「自分を試してみるべきやわ。そうかてそれがあんたの夢やったやんか。・・・私のことは心配せんでええ。ずっと秀流が帰ってくるのを待ってる。私はいつまででも待ってられるけど、このチャンスは待っててくれへんやない。」
「マイちゃん・・・。」
秀流は目を大きく見開き、麻衣子を見つめていた。麻衣子も真一文字に唇を結び、秀流を見つめ返していた。 (次回へつづく)

inserted by FC2 system