ここに掲載されている連続小説は、1980年代後半、スキーブームで盛り上がっていたころに、管理人がJESCの機関誌に連続掲載していたものを、少し今風にアレンジしたものです。感想や意見などはどしどしBBSに書き込んでくださいな。

連続スキー小説 「TEAR DROP SNOW」

第二話

「な、ほんまにうまいやろ。」
皿に盛られたポークジンジャーを口に含ませながら、こもり気味の声で秀流が言う。
「んん・・美味しいんやけど、ちょっと私には濃い口かもしれんわ。」
二人はかもしかロッジの窓際に席を取り、休日のランチを取っていた。ふつう週末の上信越のスキー場の場合、昼食の時間になると何処のレストランも席を取るだけで、無駄な時間を浪費する。しかし、ここはみちのく秋田のスキー場だ。いともあっさり昼食の席は調達する事ができる。二人の場合も例に漏れること無く、しかも見晴らしの良い窓際の席をキープしてしまった。これまた普通の人間ならおそらく席に座ることはできても、そういったシチュエーションの良い席を確保するのは難しいのだろうが、彼らの場合個々の能力(もしも席をとる力を評価するとすれば、この様な表現が適当ではないだろうか。)も優れているが、何よりチームワークは抜群である。広いロッジの中で視線のやりとり、ジェスチャーを巧みに使い分け最良の席を確保する。ちなみに今日の席は麻衣子が最初に狙った席だった。天気のいい日は、ゲレンデのスキーヤー達を眺めながら食事をとるのもいいものだ。秀流が推薦する『かもしかランチ』も、こんな日はよりいっそう二人の美食感を刺激してくれていることだろう。
「来シーズン、八方に行けへんか?」
「八方って、あのコブだらけのスキー場やろ。なんでまた?」
「んん・・八方いうたら、一応技術選の甲子園みたいなもんやんか。最近はつまらん苗場でやってるけど。俺も今目指してるもんが、基礎やろ、全日本の連中が全力でぶつかっていくあの斜面を一回自分で滑ってみたいんや」

 『技術選』、正式には全日本スキー技術選手権大会のことをいう。現在のところオリンピックの回転や大回転のようにメジャーに知られてはいないが、スケートでいえばフィギュアスケートの様なもので、与えられた斜面を規定通りの演技でいかに速く美しく滑り降りてこれるかを競うスポーツだ。むろんその斜面は、緩斜面から急斜面、フラットバーンからコブだらけのバーンまでと、とにかくスキー技術の全てを試される。このようなスキーのことを一般的に基礎スキーといい、競技の勝敗は審判の得点によって決まる。以前は日本全国のいわゆるスキー教師達の祭典であったが、最近目にあまるメーカーの莫大な金脈投資(その年の技術選で使用されたマテリアルはとにかく次のシーズンに良く売れるので、各メーカーがやっきになって金をつぎ込んで大会をサポートする。むろん選手への道具無料提供等は当たり前で、それ以外に優秀な選手にはシーズン契約を結び、メーカー所属の選手としてしまう。その契約金は3000~5000万円程度といわれている。)を目的に、今では全日本のナショナルチームの引退選手や、現役の競技選手達がこぞって参加してくるようになった。従って本来美しさを競う大会であったものが、いつの間にか選手達の極限のスキー技術を試す大会になってしまった。全国大会は各都道府県スキー連盟の主催する予選を勝ち抜いた、男女約250名の選手達によって競技が行われる。ここ数年苗場で開催されているが、八方尾根が基礎スキーの聖地としてのイメージを確立し、ジャンプ台での決勝種目は見る者の心を熱くする。技術選といえば八方といわれるまで、その知名度は高まっているのが事実だ。中でも上位の30名はナショナルデモンストレータ(俗称:デモ)と称され、翌年度のスキー技術の普及の中心となる。各メーカー、デモを確保するため若手選手の育成や最新スキー技術の分析に力を注いでいる。

「そやね、秀流ぐらいの滑りが出来たら、下手したらデモになれるかもしれんしな。」
秀流の瞳を見つめるように麻衣子が応えた。
「そこまでは思ってへんけど、とにかく自分なりに自分の滑りの実力を知っておきたいんや。」
「わかったわ、ほな来年の正月は八方の宿 私が押さえとくわ。」
「ありがとう。」
 外は相変わらず春の陽射しが強くゲレンデを突き刺している。秀流の視線はいつの間にかゲレンデの方へと移っていた。そんな秀流を見て、麻衣子が立ち上がった。
「私トイレ行ってくるわ。どうせ秀流の頭の中、今はスキーしかないもんな。そやからこれ見といてな。」
そういうとテーブルの上のエルメスのワレットを指さした。エルメスは麻衣子のお気に入りのブランドだ。最近では高校生のようなローティーンがカジュアルに持てるブランドになったしまったが、麻衣子に言わせると「私は流行になるずっと前からエルメスやった。」ということだ。この辺に麻衣子の性格の一面を見ることが出来る。
「わかった。見とくわ。」 
そういうと秀流は、そのワレットに顔を近づけじーっと凝視した。
「誰がそんなつまらんボケやれ言うたんよ?突っ込みする方の気持ちにもなってや。」
このような会話は二人にとって日常的。何においても二人共生まれは大阪なのだ。血が騒ぐというか、押さえが効かないというか、表現のしようがない。

 トイレの方に姿を消した麻衣子をよそに、秀流はゲレンデを見つめていた。いつも秀流は黙っている時、頭の中は彼の滑りのイメージが描かれている。ここから体軸を谷側に落とし込んで・・・。等と自分の世界に没頭してしまうのだ。麻衣子はそれを充分知っている。だからそんなときは彼女なりに何らかの形で間をとろうとする。今日の場合は、それがトイレであったに過ぎない。そしてトイレから帰ってくる頃には秀流も麻衣子の方に気持ちを向けられるように元に戻っている。これがいつもの二人のパターンだった。
 やがて秀流も視線をロッジの中に移し我に戻った頃、彼の後ろに一つの人影が近づいてきた。
「ここは空いているかな?」
 歳の頃なら40前後、身長はそんなに高くないが体格がガッチリしているせいか何故か秀流に威圧感を与える。グレーとブルーを渋くコーディネートしたデサントのジャケットにサロペット、胸のポケットに引っかかったオークリーのハーフジャケットが、彼の雰囲気を際だたせる。黒々と雪焼けした顔はスキーをやっていると連想させるには充分だ。明らかに秀流よりも遥かにその道を極めていそうな雰囲気を持ち合わせていた。

「あ、そこは連れが来るんですけど・・・。」
秀流はとっさに応えた。男はにっこり微笑んだ。
「さっきの可愛い女の子?」
ずっと見られていたのだ。彼は秀流の言うことを無視してそこに座った。秀流も彼の持つなれなれしい雰囲気と、今まで見られていたというある種の驚きから、ことばを失ってしまっていた。
「君、なかなかいい滑りしてるね。」
彼はそういうとポケットから、ラークを取り出し火をつけた。秀流は驚きのあまりことばにならなかった。どうやら自分はゲレンデにいるときからこの男に見られていたのだ。男は更に続けた。
「あ、失礼。私はこういう者だけど・・・君、技術選って知ってるかな?」
「え、ええまあ・・・」
彼は一枚の名刺を取り出し、秀流に手渡した。技術選の話をいきなりしてくるこの男は一体何者なのか。その名刺には『小賀坂スキー製作所  柳沢 光広』と記してあった。
(次回へつづく)

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